沿革
【創業者の精神】
大正3年(1914年)、富取東朔とその長男・東吉、次男・東三、三男・東吾の3人の兄弟によって丸富商会は創業されました。
種苗・肥料をはじめ、すき・水車等の販売が主な取扱商品であったと記録されています。
父・東朔は、新潟県内各地の農事試験所の技官・場長として営農指導一筋にその生涯を捧げています。
東朔の著わした「米作法」は、現代の米づくりにも生かされ各地で脈々と受け継がれています。創業した時のそれぞれの夢は、残されている仕事の記録から少なからずも伺い知ることができます。農家の人と一緒に田に入り、肥料計画の作り方、土壌改良の必要性から実際のやり方までを手を取り、足をとり指導と支援導を続けています。
また新しい農具の使いかた、その利便性を伝える為には実際に行って見ることが不可欠でした。農家の人と寝食を共にして啓蒙に勤めていた、と伝えられています。
まさに、「近代的な」「科学的な」農業を普及させることで、少しでも農家のまた農業の発展のためにという燃えるような意気込みが伝わってきます。
爾来100年
わたしたちの中に流れる熱い思いは変わりありません。
創業から現在に至るまで、幾多の試練がありました。
しかし、そのすべてを乗り切る過程には、創業からの理念がたしかに息づき、そして今に伝えられ、さらに明日へと伝えられていきます。
上越市に、新潟市にそして三条市にと業務を拡大し、新潟県全域をカバーするネットワークを形成し、力強いスクラムを組んで共に前進しています。
【沿革】
- 大正3年・・・東吉・東三・東吾の3兄弟とその父東朔、振動村稲田立町(現上越市稲田)に丸富商会を創業。肥料・種苗をはじめ、畜力用黎、水車等の販売を始める。
- 大正9年・・・ようやく普及の緒についた埋踏み縄ない機、足踏み脱穀機の性能に満是できずその改良を目指し、製造に着手。かたわら石油発動機の普及にも尽力、動力農機具時代への足がかりを作る。
- 大正12年・・・東本町5丁目(当時鍛冶町)へ移転。調整機も製造をはじめ、業績は順調に伸長。
- 大正13年・・・業績拡大のために次男・東三、新潟市に新店舗を創設。(現新潟丸富商会)またこの年、輸入エンジンインターの販売を開始。
- 昭和2年・・・三男・東吾、独立。この時期農機具の動力化が急速に進む。農家への啓蒙、指導力が強く要請される。
- 昭和3年・・・この時期の主な取扱製品 カドタ石油発動機・瑞光籾摺機・清水カンリウ精米機・ナシモト縄ない機
- 昭和10年・・・三男・東吾、三条に新店舗を創設。(現三条丸富商会) 以来、高田・新潟・三条の3社が協力して新潟県下の農業の近代化、機械化に大きな役割を果たす。耕転機の取扱いを開始。
- 昭和15年・・・農機具配給統制規則が施工され、販売活動できないためサービス・部品補給に努力する。戦争時代。
- 昭和16年・・・ヤンマーディーゼルと取引開始。
- 昭和25年・・・株式会社に改組。販売機器の整備、充実を精力的に進める。消防ポンプ(シバウラ)の取扱いを開始。
- 昭和34年・・・ホンダ製(ティラー他)の取扱いを開始。
- 昭和38年・・・創業50周年を迎え、R18号線沿いにショールーム・修理施設を備えた新社屋完成。糸魚川営業所を開設。大型機械化時代へ向けて新たなスタート。
- 昭和40年・・・富取東栄 社長就任。
- 昭和46年・・・林業部門を創設。
- 昭和48年・・・創業60周年を迎え、お客様大謝恩会を厚生南会館にて開く。
- 昭和56年・・・ホンダHS50、家庭用除雪機ブームに。
- 昭和63年・・・資本金1千万円に増資。生活関連部門創設。
- 平成1年・・・生活関連商品取扱い。
- 平成7年・・・株式会社マルトミに社名変更。
- 平成9年・・・新社屋(上越市西田中企業団地)に移転。
- 令和2年・・・株式会社丸富商会設立(代表取締役柴山昌彦)マルトミから事業譲渡を受ける。