‘自然観察日記’ カテゴリー一覧

上越の面白い生き物 74.小さなパイオニア「サワガニ」

小さい頃に、山でサワガニをつかまえて遊んだ思い出はありませんか。最近こうした小さい生き物のことが忘れられがちですが、いまも私たちの近くで元気に暮らしています。

サワガニのえらいところは、カニなのに山にいることです。自然に恵まれた土地で育ち、子供のころからサワガニを見なれている方には普通に思われるかもしれませんが、これはじつはすごいことなのです。
実際、サワガニ以外のカニはすべて海にすんでいます。産卵も海中で行われ、卵から孵った子供はしばらくプランクトンとして過ごした後で小さなカニの形となり、その後脱皮を繰り返しながら大きく成長してゆきます。例外的にモクズガニは川でも見ることができますが、このカニは海と川を行き来してくらし、産卵も海で行うので、どちらかに分けるとすれば海のカニと言うべきものでしょう。生まれて最初にプランクトン生活をするカニたちにとって、海の栄養豊かで安定した環境がどうしても必要なのです。

一方、山の谷川のようなところでは、水がきれいすぎて栄養分が少ないうえ、水は常に流れていますから、もしカニが普通の方法で産卵したとしても、子は育つ前に流されて行ってしまうでしょう。そこでサワガニがとった方法は、他のカニたちのように小さな卵をたくさん産む代わりに、大きな卵を少し産んでお腹に抱えておいて、卵の中で小さなカニの姿になってから放出するというものでした。これなら、生まれた子供はすぐに歩いたり泳いだりして移動して、好きな場所でそのまま生活することができます。サワガニはこのパイオニア精神によって、他のカニ達と競合しなくていい安住の地を手に入れたのです。

宮沢賢治の童話「やまなし」には、サワガニの父子が主役で登場します。夜の谷川に降りそそぐ月光の青から始まって、おしまいまで鮮やかな色彩に満ちあふれた物語で、私の大好きな作品です。雨ニモマケズの詩とか、研究者による夥しい数の伝記や論文などから、教育者・宗教家としてイメージされることも多い宮沢賢治ですが、それよりもなによりも、発表から100年の歳月を経てなお、まるで別次元の輝きを放っている多くの童話や詩を生み出した天才であることは、賢治ファンの方ならばもちろんご存じのことでしょう。

 「やまなし」は賢治童話の中でも名作とされるものの一つです。もし初めて聞いたという方がおられたら、ぜひ一度読んでいただきたいと思います。
そのあとで、本物のサワガニに会いたくなったら、ぽかぽか暖かい陽気になるのを待って近くの山にでかけ、道端に沢があれば降りて、水際の石ころをそっと持ち上げ覗いてみて下さい。     (ミ)

※今回、石井桃子さんにイラストを描いていただきました。石井さんはこの3月まで大潟水と森公園でパークレンジャーをされていました。鳥が専門ですが、自然界全般に造詣が深く、イラストも得意とされています。これから毎回お願いしていますので、どうか御期待ください。

04/09

2012

上越の面白い生き物 73.ヤドリギ  天と地を結ぶもの

1月中旬、国道253を松代から十日町へ抜けたときのこと、ナラ類らしき高木の梢に鳥の巣のようなものが見えました。
何だろうと思い、近くへよってみるとそれはオリーブグリーンの葉の塊。ヤドリギだったのです。その名の通り他の木の枝に取り付いて養分をもらって生きる寄生植物ですが、自身でも葉緑素をもっており光合成を営んでいるところが変わっています。肉厚で節の多い短い茎の先に、やはり厚ぼったいプロペラのような形の濃い緑色の葉をつけ、ちょうど宿主が葉を落とした頃に、球形の小さな半透明の黄色っぽい色の実をつけるので、この季節になってはじめてその姿に気が付く…..というのも面白いと思います。
上越ではちょっと山手のブナやミズナラ、シラカバなどの木に着いているのをよく見かけます。エノキやサクラなどにも寄生し、このあたり、どこにでもあってよい種類だと思うのですが、高田の市街地では見たことがありません。だれか観察された方がおられましたら教えてください。

実の中には鳥モチとして使われたというほどのガムのような粘液につつまれた緑色の種子が入っており、鳥がその実を食べたあと、嘴についた実を他の木の枝にこすり付けたり、糞と一緒に排泄されることによって子孫を増やす鳥散布型の繁殖をします。
その変わった姿は古くから注目されたようで、万葉集に当時越中の国司だった大伴家持の詠んだ歌、

あしびきの山の木末の寄生(ほよ)取りて
挿頭(かざ)しつらくは 千年寿くとぞ


は有名で、この植物にまつわる文章には必ずといってよいほど紹介されています。この「ほよ」はヤドリギのこととされ、意味は不明なもののホヨ、ホヤ、ヒョウなどの名はいまでも広く各地の方言として残っています。上の歌も、冬でも落葉しない緑を長寿の象徴として、それにあやかることを願ったものですが、同時に枯れ木から芽を吹く再生の呪物としての意味もこめられていた違いありません。さらにもっともっと昔には天と地を結ぶ不思議な植物として、ヨーロッパにおける民俗例のように、なにか信仰の対象とされた時代があったのではないでしょうか。
東北地方では、冬の間の貴重な家畜の飼料とされていましたし、飢饉などの際にはそのデンプンを含む茎葉をすりつぶして「ひょう餅」を作って食べたと書かれた本もあります。
この「ひょう餅」は、どのようにして作ったものか、実態は良くわからなくなっているようですが、ただ飢えをしのぐだけ、けっして美味しいものではなかったことでしょう。
現在を生きる私たちは幸いにも「ひょう餅」を食べる必要はありません。でも、わが国でもわずか半世紀ちょっと前には、飢えが日常的なことがらだったということを忘れてはならないと思います。

(ハ)

02/20

2012

上越の面白い生き物 72.潟町砂丘にすむ ヒメマイマイカブリ

 今回で72回目となるこのコーナーですが、そのスタートは平成12年1月で、第1回のテーマは コアオマイマイカブリでした。普通、上越にすむマイマイカブリはこのコアオマイマイカブリとされていますが、実は他にもうひとついるのです。今回はそのことを書いてみたいと思います。

マイマイカブリは日本列島特産の大型で特異なオサムシ(甲虫の1グループ)で、日本が世界に誇る昆虫の一つです。この不思議な名前は、カタツムリ(マイマイ)を常食し殻の中に頭を突っ込む姿からつけられました。北海道から九州まで全国に広く分布していますが、飛ぶことができないため移動が制限された結果、長い間に地域ごとに色や形、大きさが変化し、現在は8つの亜種(種の下の分類単位)に分けられ、それぞれに名前が付けられています。上越にはその中の1つ、コアオマイマイカブリがすむとされています。


私は若い頃、マイマイカブリを蒐集するため各地を回り、上越でもあちこちで採集していました。そして1981年の夏、大潟区潟町の桑畑で採れた数頭のマイマイカブリが、当然そこにいるはずのコアオマイマイカブリではなく、関東地方を中心に分布するヒメマイマイカブリであることに気づきました。その後周辺部を調査した結果、大潟から柿崎にかけての潟町砂丘と呼ばれる狭い範囲だけに、ヒメマイマイカブリの集団が、周りをコアオマイマイカブリに囲まれた状態で孤立して分布していることがわかりました。
それでは何故そこにヒメマイマイカブリがいるのかということですが、いろいろな状況からして元々そこにいたということはありえず、外からやってきたとしか考えられませんでした。でも、空を飛べないのに広大なコアオマイマイカブリの生息地を飛び越えてそこにたどり着くことも、また仮にたどり着けたとしても、すでにそこにいるコアオマイマイを押しのけて独自に数を増やすことも不可能です。でも、実際にそこにいるのです。
最後にたどりついた結論は、ありきたりだけれど、人為的な移入というものでした。といっても、人が連れてきてそこに放したということではありません。最初にヒメマイマイカブリが採れた桑畑がそのヒントでした。調べた結果、かって潟町砂丘ができ、はじめは人も住めなかった荒地が植林の成功により緑の林になっていく中で、地域の産業として養蚕が普及し、カイコの餌となる桑の畑を作るために、長期にわたり栃木県から毎年冬に2万本の桑の苗木が購入されていたことがわかったのです。マイマイカブリには成虫が木の根際で越冬する習性があるため、冬眠中にその苗木と一緒に運ばれることはごく自然で、砂丘地が生活しやすい環境に変わって行くのにタイミングを合わせるようにして、ヒメマイマイカブリが継続的に運び込まれたと考えたとき、謎が解けたと思いました。
 当時この調査結果を発表したところ、多分それで間違いないということになり、いまもそれが定説となっているようです。 その後ほどなくして養蚕は終わりを告げ、桑畑が姿を消してからもう30年近くが経過しましたが、潟町砂丘のヒメマイマイカブリは今もちゃんと生き続けています。大潟水と森公園でも見つかっているので、運が良ければ散策中に出会えるかもしれません。          (ミ)

12/19

2011

上越の面白い生き物 71.マツムシソウ  名前はどこから

妙高高原に住む義兄がマツムシソウの花を一抱えも持ってきてくれました。聞けば家の周りにこぼれた種が広がってどんどん増えているとのこと。やはり高地ならでは…うらやましい限りです。高田でも種子から育てると良いと聞きますが、それでも暑がりのこの花、結局絶えてしまうことが多いようです。それにしてもこの花の色の美しさはどうでしょう。藤色にすこし浅葱色を混ぜたような見事なパステルカラー、よく枝分かれしたか細い茎の先に着く、薄紫の大きめな花が風に揺れるさまは、高原の秋の風景にピッタリはまっています。
 上越では妙高高原などの高原に普通に見られる越年草ですが、低地にはほとんどありません。図鑑などでは本州から九州まで広い範囲に見られるということになっていますが、方言が大変少なくその点が不思議です。広く分布するといっても、あんがい産地が局地的な種類なのかも….と思ってしまいます。採集された方言は、長野、山梨などでタズマ、ダツマなどの名が記録されていますが意味は不明。ほかにキクナなどナのつくものが少し、これは芽を食べるからでしょうか。救荒植物として凶作のとき、葉と一緒に太い根も食べたといいますが、美味しいものではないようです。
 マツムシソウの名は江戸時代から知られていました。当時の百科事典 和漢三才図会 に 「玉毬草 俗に松蟲草といふ」と書いてあります。これを初めて聞いたときは、単純に 秋に咲くからか とか 松虫の鳴いているような草原に咲くから などと勝手に思っていたものです。事実そのような感じでその語源を説明している本も多くあり、牧野新日本植物図鑑では「松虫草の意であろうが詳細不明」とされています。ところが全く違った見方で名前を見事に説明してくれた本がありました。その本、中村浩さんの書かれた「植物名の由来」には昆虫の松虫からではなく仏具の名前から来たものであると書かれており、花後に丸く大きくなった花の中央部分が、西国巡礼者の持つ小さな叩鉦(たたきがね)「マツムシ鉦」というものに似ているというところから、つけられたというものでした。目からウロコのこの説、図を見れば素直に納得できます。でもこの鉦をマツムシと呼ぶのは何故?….その音色からと思うのですが… う~ん だんだんわからなくなってきました。   (ハ)

※図は昭和55年発行 東京書籍 中村浩著「植物名の由来」より転載。

10/04

2011

西田中公園 バタフライガーデンのいまの様子。


 いまは花がほとんど咲いてないので、昆虫もあまり来ていないように見えますが、中を歩きながら注意深く探してみればいろんな虫たちと出会えます。カラスザンショウの木にやってきてアゲハの幼虫を狙っているセグロアシナガバチは、10メートルくらい離れた当社の軒下に巣があって、そこから飛んできます。はやく退治しろと言われていますが、スズメバチほど危険ではないしこちらが何もしなければ大丈夫と説明し、毎日巣作りの様子をながめて楽しんでいます。当社にお越しの皆様もどうか温かい目でハチたちを見守ってあげて下さい。

08/11

2011