今回で72回目となるこのコーナーですが、そのスタートは平成12年1月で、第1回のテーマは コアオマイマイカブリでした。普通、上越にすむマイマイカブリはこのコアオマイマイカブリとされていますが、実は他にもうひとついるのです。今回はそのことを書いてみたいと思います。

マイマイカブリは日本列島特産の大型で特異なオサムシ(甲虫の1グループ)で、日本が世界に誇る昆虫の一つです。この不思議な名前は、カタツムリ(マイマイ)を常食し殻の中に頭を突っ込む姿からつけられました。北海道から九州まで全国に広く分布していますが、飛ぶことができないため移動が制限された結果、長い間に地域ごとに色や形、大きさが変化し、現在は8つの亜種(種の下の分類単位)に分けられ、それぞれに名前が付けられています。上越にはその中の1つ、コアオマイマイカブリがすむとされています。


私は若い頃、マイマイカブリを蒐集するため各地を回り、上越でもあちこちで採集していました。そして1981年の夏、大潟区潟町の桑畑で採れた数頭のマイマイカブリが、当然そこにいるはずのコアオマイマイカブリではなく、関東地方を中心に分布するヒメマイマイカブリであることに気づきました。その後周辺部を調査した結果、大潟から柿崎にかけての潟町砂丘と呼ばれる狭い範囲だけに、ヒメマイマイカブリの集団が、周りをコアオマイマイカブリに囲まれた状態で孤立して分布していることがわかりました。
それでは何故そこにヒメマイマイカブリがいるのかということですが、いろいろな状況からして元々そこにいたということはありえず、外からやってきたとしか考えられませんでした。でも、空を飛べないのに広大なコアオマイマイカブリの生息地を飛び越えてそこにたどり着くことも、また仮にたどり着けたとしても、すでにそこにいるコアオマイマイを押しのけて独自に数を増やすことも不可能です。でも、実際にそこにいるのです。
最後にたどりついた結論は、ありきたりだけれど、人為的な移入というものでした。といっても、人が連れてきてそこに放したということではありません。最初にヒメマイマイカブリが採れた桑畑がそのヒントでした。調べた結果、かって潟町砂丘ができ、はじめは人も住めなかった荒地が植林の成功により緑の林になっていく中で、地域の産業として養蚕が普及し、カイコの餌となる桑の畑を作るために、長期にわたり栃木県から毎年冬に2万本の桑の苗木が購入されていたことがわかったのです。マイマイカブリには成虫が木の根際で越冬する習性があるため、冬眠中にその苗木と一緒に運ばれることはごく自然で、砂丘地が生活しやすい環境に変わって行くのにタイミングを合わせるようにして、ヒメマイマイカブリが継続的に運び込まれたと考えたとき、謎が解けたと思いました。
 当時この調査結果を発表したところ、多分それで間違いないということになり、いまもそれが定説となっているようです。 その後ほどなくして養蚕は終わりを告げ、桑畑が姿を消してからもう30年近くが経過しましたが、潟町砂丘のヒメマイマイカブリは今もちゃんと生き続けています。大潟水と森公園でも見つかっているので、運が良ければ散策中に出会えるかもしれません。          (ミ)