頚城野の春といえばなんといっても雑木林の林床をピンクの絨毯のように覆うカタクリの群生。開発などでその面積は減っているとはいえ、まだまだその美しい景色を見ることはそんなに難しいことではありません。

 ひとつの花をクローズアップしてみると6枚の花びらが根元で合わさり、先のほうは上の方に反返った形になっています。花びらのもとの方には濃い紫色のW型の模様が入り、下から見るとまるで鹿の子絞りの模様のように見えます。この模様は花全体の色とあわせ、蜜を求めて訪れる昆虫たちのはっきりとした目印となっているのだそうです。

 カタクリが地上で生活している期間はせいぜい四、五週間と大変短く、多くの春植物と同様に木々の葉の拡がりにあわせ姿を消します。カタクリの種子は2ミリほどの小さなものですが、その一部に蟻の好む物質(エライオソーム)をつけ、これを目当てに来る蟻にその種子を遠方まで運んでもらいます。

 分散した種子は秋になっていっせいに発芽しますが、最初は細い糸のような葉でとてもカタクリの葉には見えません。三年目以降、年を追って葉の幅が広くなり、七、八年目になってようやく一人前の花をつける株になるのです。そこまで大きくなった株は、年々地下の球根にデンプンを貯めるようになり、球根は次第に大きさを増してゆきます。カタクリの個体としての寿命は長く、ある調査の結果平均で40~50年にもなるというのは驚きです。

 この球根を搗きつぶし、水さらし後乾燥したものが本物の「片栗粉」。今の片栗粉はほとんどがジャガイモから作られていますが、これは幕末に千葉県の人が製造したのが始まりとされています。古くは水で溶いて餅のようにして食べたり、下痢の薬として用いられていたそうです。江戸時代には特に東北の盛岡藩から幕府へ献上されていたようですが、直径2,3cmmに過ぎない球根からとれるデンプンの量を考えれば、製品に仕上げるまでの時間、労力は大変なものだったことでしょう。

 濃淡のうずら模様のある葉と花のつぼみを摘んで、三杯酢や酢味噌あえにして食べると美味しく、よく山菜市にも並びますが食べ過ぎると下痢をするのでご注意を。
カタクリが文学の上で有名になったのは、万葉集の大伴家持の歌ただ一首

もののふの八十おとめらが汲みまがふ寺井の上のかたかごの花


によっています。その「かたかご」(堅果子)がカタクリを指すことは鎌倉時代の学者によって明らかにされました。

 当時、役人として越中の国府に住んでいた家持は土地でカタカゴと呼ばれていた花を詠ったわけですが、いまでもカタカゴ、カタゴ、カタコなどの名が、加賀、飛騨、新潟を含む北陸地方にひろく残っています。

 この語源について「花が傾いた籠に似ている」などという説が流布していますが、小さな籠、片手に持つ籠のようなといった解釈で問題ないと思います。

 ところでカタクリといえばそれと対を成すのが春の女神といわれるギフチョウ。ひらひらとカタクリの花の間を舞い飛ぶ様子をみると、本当にこちらの身も心も躍ってしまうようです。
(ハ)